Partners In Rhyme feat Jazzy B, DS | ja

2006年にダラスで結成されたポストハードコアバンド。初期はサザンロック色が強かったが、1st EP以外はポストハードコアにシフトしている。 2枚の音源をリリースした後、インディーズ大手であるRise Recordsへ移籍。2014年までに4枚のアルバムをリリースしているが、最新作である4thアルバム「Unconditional」はビルボードチャートにて4位を記録し、バンドの出世作となっている。 .
日本情緒を垣間見せるリリックをクラブ育ちのスキルで放つラップで放ち、ピアノやストリングスの柔らかな音像にアクの強いビートを潜ませるという、クラブにもJ-POPにも寄り過ぎることのないMC TOCとDJ KATSUによる新型ヒップホップ・ユニット。 元々は面識がなかった2人。しかし、01年にDJ KATSUの主催することになった『熱帯夜』というイベントに、仲間の紹介でTOCがMCとして参加。その後、DJ KATSUはオーガナイザー兼DJとして、MC TOCはMCとして経験を積んでいくが、04年にHilcrhymeとして活動をスタートさせる。 08 年7月に発売したシングル「もうバイバイ」は、オリコン・インディーズ・チャート4位を記録し、同ビデオクリップは<YouTube>で再生回数が10万回を超えた。09年3月に地元・新潟LOTSで開催されたインディーズ・ラスト・ライヴでは600人ものオーディエンスを動員。 地元・新潟を中心に圧倒的な支持を集めていた彼らが、09年7月に<UNIVERSAL J>より1stシングル「純也と真菜実」でメジャーデビュー。本作は、メンバー自身が親友の結婚式のために夫婦2人のエピソードを聞いて書き下ろしたもので、ビデオクリップではCX系情報番組『めざましテレビ』のキャスターとして活躍中の人気タレント・皆藤愛子がウェディング姿を披露している。 .
バスタ・ライムス(Busta Rhymes、本名Trevor Tahiem Smith, Jr.、1972年5月20日- )は、アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ブルックリン イースト・フラットブッシュ出身のジャマイカ系ラッパー。彼のPVは定評があり、後のアーティスト達に多大なる影響を与えた。 11歳の時、ニューヨーク郊外のユニオンデールに引っ越す。この頃から見様見真似でラップを始めた。16歳の頃、地元の仲間達とリーダーズ・オブ・ザ・ニュースクール (L.O.N.S) を結成。その後チャックD(パブリック・エナミー)が審査員を務めるテレビ番組に出演した際、ボム・スクワッドのエリック・サドラーに才能を見出され、共にツアーで回ることになる。この頃チャックDに"バスタ・ライムス"と名付けられる。1991年 ア・トライブ・コールド・クエストのヒットシングル『シナリオ』に参加し名声を得る。その後も様々なアーティストの客演をし人脈を広げ、ソロアーティストとしても注目され始める。同年、エレクトラ・レコードからデビューアルバム『フューチャー・ウィズ・アウト・ア・パスト』 をリリースし大ヒット。1993年、セカンドアルバム 『T.I.M.E.(ザ・インナ・マインズ・アイ)』をリリースするが、この頃になると群を抜いた才能のバスタに人気が集中。メンバーとの間に軋轢が生じ、1994年L.O.N.Sは解散。 個人レーベルフリップモード・レコード(現・フリップモード・エンターテイメント)を設立し、1996年2月にデビューシングル『ウーハー!! ゴット・ユー・オール・イン・チェック』 をリリース、US、UKチャートでトップ10入り、5月には デビューアルバム『ザ・カミング』 も全米チャート6位入りし一躍トップスターとなる。その後も立て続けに2枚アルバムをリリースし、トップ10入りさせ通算400万枚以上売り上げた。さらに、1996年に結成したグループ、フリップモード・スクワッド のデビューアルバムのリリースや、ブランド『Bushi』の旗揚げなど、快進撃は続いた。4thアルバム『アナーキー』 (2000) のアメリカ以外の国では売り上げが伸びず失速し始めるが、映画やテレビの出演でタレント活動が多忙となる。 2001年 L.O.N.S時代から在籍していたエレクトラを離れ、J Recordsと契約。 2枚のアルバムをリリースするが、売り上げは伸び悩み続ける。 2003年 ドクター・ドレーの設立した アフターマスへ移籍しレコーディングを開始。しかし、数曲がインターネットで流出し制作は難航した。この頃長年トレードマークだったドレッドを切り坊主頭に。2006年 PV撮影中に銃撃があり、彼のボディーガードでもある親友が殺害される事件が起きる。原因は不明。彼は事情聴取を拒否、この事件について公にコメントせず批判を浴びる。そんな暗い話題を振り切るように、4年ぶりとなる新作『ザ・ビッグ・バン』をリリース。自身最高記録の全米チャート1位を獲得し見事復活を遂げた。翌年からアルバムの制作開始するがアフターマスの上層部と意見の食い違いで契約を解除。モータウンと契約後も制作は続けられるが、タイトルや発売日が二転三転、ようやく2009年5月に8thアルバム『バック・オン・マイ・B.S.』がリリースされた。 2010年 『ウィ・アー・ザ・ワールド:25 フォー・ハイチ』のレコーディングに参加。9thアルバム『The Chemo』を7月4日リリースに向けてレコーディング中。 .