Funk | ja

ファンク(funk)は音楽のジャンルのひとつであり、
その中でもアフリカ系アメリカ人(黒人)起源のソウル・ミュージックのジャンルに属す。

ファンキーと言う言葉はそもそも「野暮ったい」「土俗的」などの意を含む俗語で、
語源としてはクレオールの俗語で「匂い」を指す言葉であった。

『ファンキー』とは元々はファンク・ミュージックが派生する以前にジャズ
(→ファンキー・ジャズ ※後述するジャズ・ファンクと全く異なる音楽ジャンルである)に対して使われていた言葉で、ブルース色(アーシー;土臭さ)、ソウル色(ゴスペル)を指した意味であった。

このように「ファンキー」と言う言葉には黒人の生活的な土臭さを持つ面もある。
「素晴らしい」という訳語がある一方で、「悪臭のする」という訳語もあり、
転じてネガティヴな意味合いで使われることもある。
このように「ファンク」という言葉は所詮は感覚的な言葉であり明確に日本語に訳すことは出来ない。

ファンクは1960年代にミーターズやジェームス・ブラウンおよび
彼のバンドのメンバーを始祖として祖型が形成されたとされている。

その後、天才ベーシストブーツィー・コリンズが、
ジョージ・クリントンによりPファンクにスカウトされ、Pファンク黄金時代を築き上げた(Pファンクにて詳細)。

一方、1970年代初頭サンフランシスコから、白人・黒人混成バンドスライ&ザ・ファミリー・ストーンが登場し、
彼らのロック的要素を取り入れたファンクが白人にも受け入れられるようになった。

またこうした過去の曲が現在でも多数サンプリングされ、世界中のアーティスト達のリスペクトを受けている。
そして、ブラック・ミュージック、ソウル/R&Bを土台にし、アフリカ音楽やジャズ的要素を取り入れ発展していった。

ファンク・ミュージックの大きな特徴は、
バックビート(裏拍)を意識した16ビートのリズムとフレーズの反復を多用した曲構成である。

ダンス・ミュージックとしての色彩も強いため、
とりわけリズムはファンクを位置づける大きな要素となっており、分厚くうねるベースライン、
鋭いリズムギター、強いリズムのホーンセクションなど、
演奏楽器のすべてがファンクビートを形成していると言える。ベースにはスラッピング、
ギターにはカッティングという奏法技術が多用される。

そのためポップスなどでもこの技術が使われているだけでファンクという印象を与えるほど影響が大きい。
バンドや楽曲ごとにさまざまな特徴があるが、ドラムマシーンによる機械的なビート、
アフリカやラテン系のリズム、ジャズやロック、レゲエの要素を取り入れるなど、
ジャンルを超えた発展を続けている。

1960年代末から1970年代初頭にはスライ&ザ・ファミリー・ストーン(Sly & the Family Stone)がファンクに白人にも受け入れられるようなロックの要素を取り入れ、70年代には、ジョージ・クリントンがPファンク(パーラメント - ファンカデリック)として活動し、ファンクを発展させた。その他の70年代ファンクの代表的アーティストとしては、ブーツィー・コリンズ(Pファンク一派にも属する)、ブーツィによりプロデュースされたザップ(ロジャー・トラウトマン)、ラリー・グラハム、オハイオ・プレイヤーズ、コモドアーズ、アース・ウィンド・アンド・ファイアー、スレイブ、レイクサイドなどが挙げられる。

ファンクはアクの強い一面もあるが、他ジャンルと交わり洗練されていく。
クインシー・ジョーンズがプロデュースを手掛けたマイケル・ジャクソンをはじめとして、
アース・ウィンド・アンド・ファイアー、ロングセラーとして今日でも極めて高く評価されている
ファンクの名盤『1999』を輩出したプリンス等である。

しかし、今日の世界中のミュージシャンが、
直接・間接なりともファンクのエッセンスを取り入れているものと思われる。
リック・ジェームス、ミクスチャーロックとされる一部バンドがファンクのリズムを取り入れたり、
ヒップホップアーティストがファンクのフレーズをサンプリングしたりするなど、
現在においてもその影響は続いている。

ファンクはジャズ・シーンに大きく影響を与えており、マイルス・デイヴィスやハービー・ハンコック、ジョージ・デューク、エディー・ハリスなどがファンクを取り入れた音楽を演奏している。この音楽はジャズ・ファンクとも形容され、アシッド・ジャズ(踊れるジャズを元に発展した音楽)やレア・グルーヴ(1969〜1970年代ごろのジャズ・ファンク、ソウルで、グルーヴ(ノリ)が強いもの)、フィルターハウス(ダフト・パンクに代表されるクラブミュージック)、(ジャム(≒即興演奏)に影響を与えている。

ディスコブームの発展にもファンクは大きく関わった。
多くのファンク・レコードがディスコでプレイされ、
また多くのファンク・バンドがディスコ向けの曲やディスコ向けのアレンジ
(一曲を引き伸ばした曲、リミックスされた曲)などをリリースした。

また、ジョージ・クリントンらPファンク一派は、デトロイト・テクノにも、
そのベースラインとSF志向において大きな影響を及ぼした。

Pファンク一派のド派手なデザインやユニークなサウンドは、
NYで活動したディー・ライト(Deee-Lite)に多大な影響を与え、
そのメンバー一員であったテイ・トウワ(towa tei)によってテクノミュージックとの見事な融合を果たし、
今日のJポップにも少なからず引き続かれている。

一方、ファンクは1960年代半ばからアフリカへも紹介され、
ジャズやアフリカのリズムをとりいれたアフロビートへ繋がりフェラ・クティにより大きく発展していった。
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