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エモ (Emo) は、ロックの形態の一種である。英語での発音は「イーモウ」。
精神的・音楽的にハードコアにルーツを持つことから、エモーショナル・ハードコア(エモコア)、ポスト・ハードコアと呼ばれることもある。

経緯:
マイナー・スレット (Minor threat)、フガジ (Fugazi)、ダグ・ナスティ (Dag nasty)、ジョーボックス (Jawbox)等のワシントンD.C.周辺 - ディスコード・レーベルを中心とした1980年代のUSハードコアを源流とするDIYな活動、オルタナティブな音楽性からの影響を公言するバンド達が1990年代半ば頃からエモと呼ばれ始めた。
この呼称は、ワシントンD.C.のハードコアパンク20年史ドキュメント Dance of Days (Mark Andersen & Mark Jenkins, 2001)によれば、スケートボード誌スラッシャー (Thrasher) がイアン・マッケイ(マイナー・スレット、フガジの中心人物、ディスコード主宰者)らD.C.のハードコアパンクの新しいサウンドを指して emo-core と呼んだことに由来する。当時フガジの前身エンブレイス (Embrace) で活動していたマッケイがこれに激怒して"EMOCORE is STUPID"と言い放った1986年の映像はYouTube等で流布しており、彼自身がエモコアというネーミングを拒否したことは明らかである(自ら「エモ」を名乗るバンドは極めて少ない)[1]が、1990年代半ば以降、この語はインディーロックサウンドとともにインターネット経由で広まっていった。
最初に「エモ」として全米で知られたバンドはシアトルのサニー・デイ・リアル・エステイト (Sunny Day Real Estate) で、このバンドが契約していたインディーレーベル(当時)サブ・ポップ (Sub Pop) が1980年代後半のシアトルのアングラシーンをグランジという名で世界に紹介した仕掛け人だったこともあり、エモもグランジ同様に、ジャンルというよりはメディア用のラベルではないかという印象が当初から拭えなかった。実際、グランジ・ファッションならぬエモ・ファッションの議論は1990年代の早い時期からはじまっている。ただし、シアトル・シーンと1980年代からアンダーグラウンドで交流の深かったD.C.のバンドがこのようなラベル付けに冷淡だったことや、後付けの音楽性定義の試みが直ちに諸論噴出につながるネット時代の環境のため、グランジ以上に定義が曖昧なまま、必ずしもハードコアパンクと関係のないさまざまなバンドにこの語が拡散して行くことになった。
日本では、ブラッドサースティ・ブッチャーズ (bloodthirsty butchers) やイースタン・ユース (eastern youth) など札幌のバンドが1980年代後半からD.C.のバンドの影響下にあったが、「エモ」という語の使用は1990年代後半以降であろうと考えられる。たとえば、イースタン・ユースは1997年になって二回、ライブ告知のフライヤーで「激エモ風バンド」という表現を用いている(シンコーミュージックムック『爆音侍』激情無宿編参照)。アメリカでジミー・イート・ワールド (Jimmy Eat World) などメジャーシーンにもエモが進出した1999年頃には、一般の音楽雑誌で紹介記事が書かれるようになった。

特徴:
音楽性は多様的で定義も曖昧であるが、疾走感溢れ、正確なリズムとラウドなギターをベースにしたバンドサウンド(ギター、ベース、ドラムによる一般にハードコアやパンクで使われる楽器での演奏)に副次的な演奏(ピアノ、 キーボード、 シンセサイザーなどの演奏)を用いて、哀愁のあるメロディと情緒的なボーカルを乗せるといったスタイルを特徴とする。なお、エモーショナルで絶叫するようなボーカルパートを持つエモバンドは、エモの一種であるスクリーモにカテゴライズされる場合が多い。
そういったサウンドにプログレッシヴ・ロック、 ニュー・ウェイヴ 、 エレクトロニカ、 アンビエント・ミュージック、グランジ、 オルタナティヴ・ロック、ギターポップ、ポップ・パンク、フォークロックなど色々なサウンドからのサウンド的影響を受けている。 .