No Doubt | ja

8    0

ノー・ダウト(No Doubt)は1986年に結成されたアメリカ合衆国のスカパンク、オルタナ、ポップロック系のロックバンド。現在までにグラミー賞を2つ受賞し、世界中で2700万枚のレコード売り上げ記録を持つ。


結成

1986年、アメリカ合衆国カリフォルニア州アナハイムにて、当時デーリー・クィーンでバイトしていたジョン・スペンス、エリック・ステファーニ(グウェンの兄)とグウェン・ステファーニの3人がアップル・コア(Apple Core)というバンドを結成したのがはじまり。この3人でライブをしながら他に新メンバーが入れ替わり立ち替わりしていく中、彼らのライブを見に来ていたトニー・カナルがベーシストとして加わる。

1987年、当初のフロントマンでありボーカルだったジョン・スペンスの自殺を受け、アラン・ミードが一時的にボーカルとして加わるがすぐに去ってしまったため、グウェンがボーカルになった。この後、当時ギターのジェリー・マクマホーンの代わりに現ギターのトム・デュモントが参加し、バンドにへヴィメタ的要素を加えることになった。


下積み期間

1990年、設立したてのインタースコープ社とマルチ・アルバムのレコード契約を結ぶ。
1992年にセルフ・タイトルのデビューアルバムをリリースするものの、レーベルからの後押しもなく、売上がたったの3万枚という失敗に終わった。この間、バンドは全米ツアーを遂行したがこちらも芳しくなく、南カリフォルニア以外での集客力のなさを痛感させられた。


全国区へ

1995年、インタースコープ社はこの売れないバンドを子会社のトラウマ・レコーズに移籍させる。 バンドは自主レーベルでそれまでのシングルを集めた『The Beacon Street Collection』をリリースし、デビューアルバムの3倍の売り上げを記録する。また、同年後半にトラウマ・レコーズより『Tragic Kingdom』をリリースする。

この『Tragic Kingdom』からリリースされたシングルが次々とヒットし、3rdシングル『Don't Speak』はビルボードのHot 100 Airplay Chartで16週連続1位を記録した。ちなみにこのアルバムのほとんどの楽曲がグウェンとトニーの関係に基づいて作詞されており、『Don't Speak』も二人の別れについて書かれた曲である。

2000年に『Return of Saturn』をリリース。しかし、このアルバムのレビューは良かったにも関わらず、実際の売り上げは芳しくなく、15か月後に『Rock Steady』をリリースし巻き返しを図る。『Rock Steady』は主にジャマイカでレコーディングされ、地元のレゲエ歌手とコラボする等レゲエ、スカ色を存分に取り入れた意欲作となった。この結果、『Rock Steady』でグラミー賞を『Hey Baby』と『Underneath It All』の2曲で受賞する。

2003年には過去のシングル・コンピレーション『The Singles 1992-2003』を発表。

翌2004年には、フロントウーマンのグウェンがソロ活動を開始し、バンドのトニーやザ・ネプチューンズのファレル・ウィリアムスともコラボした。 同年トム・デュモントもサイド・プロジェクトの「Invincibel Overlord」を開始した。

バンドは2009年、バンドとしての活動を再開し、春から夏にかけて全米ツアーを、またその合間に新アルバムのレコーディングを行う予定である。


メンバー
グウェン・ステファーニ(Gwen Stefani)-ボーカル
トム・デュモント(Tom Dumont)-ギター
トニー・カナル(Tony Kanal)-ベースギター
エイドリアン・ヤング(Adrian Young)-ドラム、パーカッション

<ツアー・メンバー>
ステファン・ブラッドレー(Stephen Bradley) – キーボード、トランペット、バックボーカル
ガブリエル・マックネール(Gabrial McNair) – キーボード、トロンボーン、バックボーカル


ディスコグラフィー
NO DOUBT No Doubt (1992年)
トラジック・キングダム Tragic Kingdom (1995年)
リターン・オブ・サターン Return of Saturn (2000年)
ロック・ステディ Rock Steady (2001年)
ザ・シングルス1992~2003年 The Singles 1992–2003(2003年) .

すべてのアルバム

トップアルバム

類似のアーティスト