R. Kelly | ja

R・ケリー(R. Kelly、本名:Robert Sylvester Kelly、1967年1月8日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身のR&Bシンガーソングライター、音楽プロデューサー。

■来歴
母ジョアンと3人の兄弟たちと貧困の中、幼少期を過ごし、チャカ・カーンやダ・ブラットを輩出したケンウッド・アカデミーに入学。音楽を学び、まずはR・ケリー& MGMというグループとしてキャリアをスタートさせたが内輪もめの末脱退。 その後BlackgroundレーベルCEO でありグラディス・ナイトの元夫バリー・ハンカーソン(Barry Hankerson)に1990年に見出されR・ケリー&パブリックアナウンスメント(R. Kelly & Public Announcement)としてメジャーデビューをはたす。ニュー・ジャック・スウィングの波にも乗り一躍その名を知られる存在となる。
1992年にソロアルバム 『ボーン・イントゥ・ザ・90'S』をリリースし、「シーズ・ガット・ザット・バイブ(She's Got That Vibe)」などヒット曲を出す。1993年秋、アルバム『12プレイ』(リリース時の邦題は『愛の12プレイ』)をリリース。「バンプ・アンド・グラインド(Bump & Grind)」はビルボードポップチャートで一位になるほか、「セックス・ミー(Sex Me)」、「やみつきボディ(Your Body's Calling)」などもヒット。
1994年には バリー・ハンカーソンの姪だったアリーヤのデビューアルバム「エイジ・エイント・ナッシング・バット・ア・ナンバー(Age Ain't Nothing but a Number)」をプロデュースする。当時27歳だったケリーと15歳のアリーヤは婚姻届を提出したといわれている。 しかし、年齢詐称で結婚は破棄され、そこでケリーとアリーヤは公私ともに関係に区切りを付けることになる。アリーヤが2001年8月25日に若くして飛行機事故で亡くなった時は大きなショックを受けたとされている。
自らの名をそのままタイトルにしたアルバム『R・ケリー』を1995年にリリース。400万枚以上を売り上げる。「ユー・リマインド・ミー・オブ・サムシング(You Remind Me of Something)」(1995年のポップチャートトップ5、 R&Bチャートでは1位を記録)、「アイ・キャント・スリープ・ベイビー(I Can't Sleep Baby (If I))」、アイズレー・ブラザーズ(Isley Brothers)で知られる伝説的なR&B歌手、ロナルド・アイズレー(Ronald Isley)との共作「ダウン・ロウ(Down Low (Nobody Has To Know))」などヒットを続けて出す。アルバム以前は「12プレイ」収録曲の歌詞や若すぎたアリーヤとのゴシップもあり性的に異常な人物だと思われていた。このころソングライターとしての才能も開花させR&Bグループのチェンジング・フェイシス(Changing Faces)、ジャネット・ジャクソン(「どんなときも、どこにいても(Any Time, Any Place)」)、マイケル・ジャクソン(「ユー・アー・ノット・アローン(You Are Not Alone)」)などをプロデュースし、それらを続けざまにヒットさせる。 「ユー・アー・ノット・アローン」はビルボードホット100で1位になった。
マイケル・ジョーダン主演映画『スペース・ジャム』(1996年)サウンドトラックに「アイ・ビリーブ・アイ・キャン・フライ(I Believe I Can Fly)」を提供。 この曲のヒットの後押しを受けベストR&Bソングと2つのグラミー賞を獲得。 また、ソング・オブ・ザ・イヤーとレコード・オブ・ザ・イヤーに選出される。
ケリーは1998年「性愛」と「ゴスペル」という彼の二つのコンセプトを明確にさせる二枚組アルバム『R.』発表。セリーヌ・ディオンとの共作で「アイム・ユア・エンジェル」と題されたファーストシングルはヒップホップ/ R&Bチャートでは5位だったが、ビルボードポップシングルチャートでは2度目になる1位を記録する。『R.』は800万枚以上を売り上げケリーの最もヒットしたアルバムになった。
2000年アルバム『12プレイ』の続編として『TP-2.com』(Twelve Play-2の意)をリリース。「フィエスタ(Fiesta)」ではジェイ・Zをフィーチャーした。その後、客演返しともいえるジェイ・Zの「ギルティ・アンティル・プローヴン・イノセント(Guilty Until Proven Innocent)」などを経て、ヒップホップ界とR&B界それぞれの「最高」を名乗る「ザ・ベスト・オブ・ボース・ワールズ」を2002年にリリース。トラックマスターズ(Trackmasters)のサウンドで絶頂の人気を誇る二人のトップスターが共演することになる。しかし、R・ケリーと未成年の14歳少女との性行為や少女の排泄を撮影したビデオテープの存在が明らかになり、瞬く間にインターネット上でも公開され話題になる。この問題に関してはケリー自身と被害者とされる少女が否定、裁判の結果ビデオに出演していたのはケリーではないとされ無罪判決が出された。ほかにもいくつかの同様なスキャンダルが噴出し、本来バックアップされるべきのシカゴでもラジオ放送拒否などにあい風当たりが強くなる。「R&B界のハーメルンの笛吹き男」と揶揄されたりもした結果、アルバムは商業的には失敗に終わる。
苦境の中、アルバム『Loveland』を制作するが正式なリリース前にインターネットへの流出や海賊盤が横行し発売中止を余儀なくされる。しかし、その後すぐに「チョコレート・ファクトリー」(2003年)の制作をはじめ、「イグニッション(Ignition)」、「スネーク(Snake)」などをヒットさせていく。 1970年代スタイルの「ステップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ(Step In The Name Of Love)」はロングヒットを記録。
プロデュース業でもアイズレー・ブラザーズの「ボディ・キス(Body Kiss)」 を一位に導き、現在は解散したオマリオン擁するB2Kの「バンプ・バンプ・バンプ(Bump, Bump, Bump)」、キャシディ(Cassidy)の「ホテル(Hotel)」、ジェニファー・ロペスなどでもヒットを飛ばす。ベスト盤「グレイテスト・ヒッツ・コレクション:Volume 1」をリリースすると続けざまに「ステップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ」の流れをくむ「ハッピー・ピープル(Happy People)」を収録した2枚組アルバム『ハッピー・ピープル/ユー・セイヴド・ミー』を2004年リリースした。「ユー・セイヴド・ミー」は神への賛歌で、「ハッピー・ピープル」とは違った特色を持っている。アルバムは発売一週間にアメリカで40万3000枚売り上げ、ヒットチャートでは2位を記録する。
同年10月には前回の汚名返上とばかりに再びジェイ・Zとの共作アルバム『アンフィニッシュド・ビジネス』をリリース。発売一週間でアメリカで21万5千枚のセールスのビッグヒットを記録し、ビルボード初登場1位を記録。二大アーティストのライブツアーも敢行すことになる。しかしツアー中に2人の仲が険悪になり、ジェイ・Zの取り巻きであったタイラン・“Ty Ty”・スミスがケリーに催涙スプレーのようなものを吹きかけるという暴行を加えたために、ケリーはツアー途中に離脱。事件後、ジェイ・ZがCEOを務めるデフ・ジャムにタイラン・“Ty Ty”・スミスが雇用されたことも含め、この事件は訴訟に発展する。ジェイ・Zは友人を集めてケリー無しでのライブツアーを続行させた。この事件以降ケリーは、50セントをはじめヒップホップ界から嫌忌の目を向けられることになる。
2005年もハードワークぶりを発揮し『TP.3 リローデッド』を発表。収録曲「トラップト・イン・ザ・クローゼット(Trapped In The Closet)」ではアルバム収録は〔チャプター1〕から〔チャプター5〕までだったが、同年DVD「トラップト・イン・ザ・クローゼット」で、全12曲に及ぶストーリー性のある曲とPVが話題を集めている。
2007年5月29日にオリジナルアルバムとしては9作目となる『Double Up』をリリース。同作ではスヌープ・ドッグ、ネリー、カミリオネアなどをゲストに迎え、ヒップホップ色を強めたアルバムとなった。発売1週目に38万8000枚を売り上げビルボードチャートで1位を獲得する。 .