ザ・タイガース | ja

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ザ・タイガース(The Tigers)は、日本のグループ・サウンズ。

1967年2月に『僕のマリー』でデビュー、『モナリザの微笑』、『君だけに愛を』など数多くのヒット曲を放ち、グループサウンズ(GS)の神として君臨し、ブームの最盛期を支え、デビューから解散までの4年間、ビジネスとして成り立った唯一のグループサウンズである。

1971年の日本武道館コンサートを最後に解散。その後1981年11月に同窓会と銘打って再結成した( - 1983年)。

メンバー

沢田研二(ジュリー)(1948年6月25日 - )身長171cm、体重51kg、ボーカル、タンバリン
岸部修三(サリー、後に岸部一徳に改名)(1947年1月9日 - )身長181cm、体重65kg、ベース、コーラス
加橋かつみ(トッポ)(1948年2月4日 - )身長165cm、体重50kg、リードギター、コーラス、ボーカル
森本太郎(タロー)(1947年11月18日 - )身長178cm、体重58kg、ギター、コーラス
瞳みのる(ピー)(1946年9月22日 - )身長165cm、体重48kg、ドラムス
岸部シロー(シロー)(1949年6月7日 - )身長187cm(ダウンタウンDX出演時の本人談、現役時は185cmと表記)、体重67kg、ギター、タンバリン、コーラス

1969年3月に脱退した加橋かつみに代わって参加。岸部修三の実弟。

1981年 - 1983年の同窓会時のメンバーは沢田、岸部兄弟、加橋、森本の5人で瞳みのるは不参加。

身長及び体重は現役当時のもの。

原型は沢田研二を除く4人で1965年に京都で結成された「サリーとプレイボーイズ」。当初は、ベンチャーズなどのエレキインストナンバーを主なレパートリーにしていたが、同年12月に「サンダース」で活動していた沢田研二の加入で歌主体のいわゆるボーカル・インストゥルメンタル・グループへと路線変更。バンド名も「ファニーズ」に改称する。

当時、メンバー全員がファンクラブに加入していたザ・スパイダースの田邊昭知より「上京するならスパイダクション(現田辺エージェンシー)へ来ないか」と誘われたこともあった。

大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」の楽屋へ向かう階段でブルージーンズの内田裕也から『君たち、俺と一緒にやんねぇか?』と声を掛けられたことがきっかけでナベプロ(渡辺プロダクション、現在のワタナベエンターテインメント)に所属する運びとなる。

1966年11月9日、新幹線こだまで上京。11月15日、初出演のテレビ番組「ザ・ヒットパレード」(CX系列)収録当日、関西出身ということからすぎやまこういちによってバンド名をザ・タイガースに変更させられる。また、当時アメリカ、カナダ、イギリス、そして日本などでビートルズを凌ぐ大人気だったアイドルグループ「モンキーズ」の存在を意識して動物名となった説もある。

初のテレビ出演では、当時アメリカ本国に於いてモンキーズに次ぐアイドル人気となっていた元祖パンクロックバンドであるポールリビアとレイダースの『KICKS』を演奏。

1967年2月5日発売のシングル『僕のマリー』(1966年12月の録音時点でのタイトルは『マリーの想い出』)でデビュー。この頃、メンバーのニックネームが決まり、沢田は女優ジュリー・アンドリュースから「ジュリー」と名乗るようになる。岸部は背が高かったことから、リトル・リチャードのシングル『のっぽのサリー』にかけて「サリー」、森本は本名から「タロー」、加橋はトッポ・ジージョに似ていることから「トッポ」、瞳はキューピーに似ていることから、幼少のころに乳母から呼ばれた二ックネームの「ピー」と呼ばれることになった。5月発売のセカンド・シングル『シーサイドバウンド』で人気に火がつき、8月発売のサード・シングル『モナリザの微笑』で一気にマスメディアからクローズアップされ、折りからの爆発的なグループ・サウンズ(GS)ブームも相なって、ザ・タイガースは瞬く間にトップ・アイドルへと躍り出る。

1968年8月12日に日本初のスタジアム・ライブとなる「ザ・タイガース・ショー〜真夏の夜の祭典」を後楽園球場で開催。11月25日には、トータル・コンセプト・アルバム『ヒューマン・ルネッサンス』を発売し、社会現象とまで言われた圧倒的な人気の渦中でザ・タイガースはGSブームの頂点に立つ。

しかし、1969年3月に加橋かつみがザ・タイガースを脱退(所属事務所の演出による「加橋失踪」という茶番劇で、後に事務所側は謝罪会見を開いた)。事務所のシナリオ通りに新メンバーとして岸部の弟・岸部シローが加入するも、1969年も夏に差し掛かる頃には急速に音楽シーンが多様化、GSブームも終焉の兆しを見せ始める。そんな中、7月にはほぼ完全に沢田のソロシングルとも受け取れるような『嘆き』(岸部シローの薄いコーラス程度)を発売、秋からは日増しにグループとしての活動よりもメンバー個々の活動が中心となっていった。その後12月1日に沢田は初のソロ・アルバム『JULIE』を発表する。

1970年4月26日には日本万国博覧会のEXPOホール・水上ステージにて「ザ・タイガース・ショー」を開催するなど根強い人気を保つものの12月7日、ザ・タイガースは解散を表明。翌1971年1月24日、日本武道館における「ザ・タイガース ビューティフル・コンサート」を事実上の解散コンサートとして、ザ・タイガースは解散する(武道館では以前、新曲発表会を開いているので初演ではない)。この模様は日曜日ということもありテレビで生中継され、大幅に編集された実況録音盤(ライブアルバム)『ザ・タイガース・フィナーレ』として同年に発売された。 .

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