Leon Machère, Kay One feat Tilly | ja

Kings of Leon は米テネシー州ナッシュビル出身(Nashville, Tennessee, United States)で2000年に結成されたロックバンド。 フォロウィル3兄弟 (カレブ、ネイサン、ジェアド)、および彼らのいとこ (マシュー) で構成。 厳格な宣教師の父をもち、旅の中で育つ。バンド名の由来は、3兄弟の父と祖父の名前(レオン)から。 サザン・ロック、ガレージロック、ハードロック、カントリー、ブルースなどの音楽から影響を受けている。古典的ルーツ・ロックの影響を色濃く残した、いぶし銀でアーシーなロックンロールを泥臭くパワフルに鳴らす。サザン・ストロークス(南部のストロークス)とも形容される。 本国アメリカより一足先にイギリスで人気に火がつき、2008年のグラストンベリー・フェスティバルではヘッドライナー に抜擢された。2003年のサマーソニックで初来日。2007年にはフジロックにも出演している。 ボブ・ディラン、ポール・ウェラー、ノエル・ギャラガーなどから高い評価を得ている。 2008年にリリースされたシングル「セックス・オン・ファイア」はUKシングルチャートで3週連続1位に輝き、またアメリカでもビルボードのHot Modern Rock Tracksチャートで1位を獲得する大ヒット作となった。同シングルを収録した通算4枚目のアルバム「オンリー・バイ・ザ・ナイト」も全英1位、全米5位を記録している。 メンバー カレブ・フォロウィル(Caleb Followill 、1982年1月14日 - )ギター、ボーカル。 マシュー・フォロウィル(Matthew Followill 、1984年9月10日 - )ギター。 ジェアド・フォロウィル(Jared Followill 、1986年11月20日 - )ベース。 ネイサン・フォロウィル(Nathan Followill 、1979年6月26日 - )ドラムス。 .
2006年にダラスで結成されたポストハードコアバンド。初期はサザンロック色が強かったが、1st EP以外はポストハードコアにシフトしている。 2枚の音源をリリースした後、インディーズ大手であるRise Recordsへ移籍。2014年までに4枚のアルバムをリリースしているが、最新作である4thアルバム「Unconditional」はビルボードチャートにて4位を記録し、バンドの出世作となっている。 .
この騒がしい時世に、ゆったりとした雰囲気を持ち、歌うことで国民の関心を惹くことのできる人物など滅多にいない。だが。2006年の終わりに遡ってみると、レオナ・ルイスが毎週そんな時間を我々に与えてくれていた。登場したときからずっと『The X-Factor』(イギリスの人気オーディション番組)の本命だった彼女は、TVのタレント・コンテストという枠組みをはるかに超えて大絶賛を浴びていた。 抑揚のある声に恵まれ、心臓が止まるかと思うような激しさだけでなく遊び心溢れる軽いタッチもこなせるレオナ。現在23歳、イーストロンドン/ハックニー出身のレオナは、タレントショーでよく見る優勝者達とはまるで違っていた。 ファイナルの前にもかかわらずアメリカ音楽界の大物クライヴ・デイヴィスがサイモン・コーウェルに電話で「きみは次のホイットニー・ヒューストンを手中にしているかもしれない」と言い、サイモンは「なんて魅惑的だ……こんなに凄いなんて信じられなかった」と次々に口にし、人々はレオナをホイットニー・ヒューストンやマライア・キャリーと比べるようになった。 2006年12月、『The X-Factor 2006』優勝直後にリリースされ、その年のクリスマスNo.1ヒットとなったデビュー・シングル「A Moment Like This」(ケリー・クラークソンのカバー)が、発売30分でその年の最高ダウンロード数を記録。1週目だけでシングルが60万枚以上の売り上げを記録し、女性アーティストのデビュー・シングルとしてはUK史上最速のセールス新記録を打ち立てる華々しいデビューを飾ったレオナだったが、その後1年間に渡り、リリースや宣伝広告もなく、真の意味でスーパースターとしての地位を確立するために、表舞台から姿を消した。 2007年2月にアメリカへ飛んだレオナは、クライヴ・デイヴィスが主催したショーケースでパフォーマンスを行った。そして世界でも名高いソングライターやプロデューサーたちの心をつかみ、ロンドン、アトランタ、マイアミ、ロサンゼルスといった場所で、選りすぐりのスーパー・ヒット・プロデューサー達と共に、じっくり時間をかけてデビュー・アルバムのレコーディングに打ち込んでいたのだ。 「スタートはロンドンでSteve Macと一緒だった」 ケリー・クラークソンからマライア・キャリーといった数々のスターたちを手掛けてきたUKポップス界の大物の名前をあげてレオナは話す。 「それからアトランタではDallas Austin、LAではSoulshock and CarlinにJam and Lewis、そしてマイアミではWalter AfanasieffやSalaam Remiもね。彼のスタジオは最高だった。他のところと違って、家の屋上にスタジオがあるの。そして横にはプール。テイクの合間に日光浴をして肌を焼いていたのよ」 これらのプロデューサー達が今までに手掛けてきたアーティストは、アレサ・フランクリン、マイケル・ジャクソン、ジャネット・ジャクソン、TLC、デスティニーズ・チャイルド、フージーズ、アッシャー、マライア・キャリー、ホイットニー・ヒューストン、エイミー・ワインハウスなど。さらにレオナはさらなる可能性を求めて、USソングライターの女王、Diane Warrenのところへも足を運んでいる。 ミュージック・シーンの生きる伝説、クライヴ・デイヴィスとサイモン・コーウェルという歴史的タッグのプロデュースのもとで、レオナは好きなように時間を使って己の運命を操ることのできる贅沢を与えられていたという。 「一人前の人間として扱ってくれた。従わなくてはいけないような決まったやり方を押しつけられることはなかったの。新しい環境に慣れるための時間もあったし、たくさんのことを学んだし、サイモンもクライヴもわたしの話によく耳を傾けてくれた。普通はそんなふうに成長する機会を与えてもらえることなど滅多にないわ。ましてやタレントショー出身の人間になんてなおさらよ。わたしはラッキーだったの。そのことはちゃんと自覚してる」 あの驚くべき声を披露していないときは、堅実でシャイな一面をもつレオナ。彼女はアーティストとして大きく前進した。彼らのサポートのおかげで、これまでずっと持ち続けてきた情熱に新たに自信が加わった。 「サイモンによく言われたのは、直観に従って己に正直でいなさいってこと。クライヴもまったく同じことを口にした。わたしは最高の楽曲を歌いたいと思っていたし、手元にあったたくさんの曲は自分自身とのつながりを感じられるようなものばかりだったわ」 「アルバムに収録されたのは、現代的なスパイスをきかせた古き良きポップス。バラードもあればアップテンポな曲もある。それにいろんなことを試していて、もうやり尽くしてしまったって感じたときには、有望なプロデューサー達が手を貸してくれた。Fernandoはすごくクールな80年代のサウンドをプラスしてくれたしね。とはいえ、全部がちゃんとした歌であるってことが私にとっては一番大事。ビートばかりだったり流行りのサウンドを追いかけたりしてるようなトラックはない。わたしは楽曲にアコースティックな働きを求めるのよ。 以前はよくアコースティック系のギグをしたし、そういう要素を持っている歌が好き」 このようにレオナの話を聞いていると、彼女のデビュー・アルバムが、己が望んだ通りのものに満たされていることがよくわかる。きらびやかな名前の並ぶパートナーたちのリストに、Ne-YoやStargate、さらにはBilly Steinberg(「Like A Virgin」-Madonna, 「True Colors」-Cyndi Lauper, 「So Emotional」-Whitney Houston, 「Eternal Flame」-The Bangles他)も加わり、Roberta Flackの「The First Time Ever I Saw Your Face」のカバーも収録されている。 「最後のレコーディングはNYでやったの」 顔を輝かせてそう話す彼女の声は誇りと興奮で震えている。 「楽曲があまりにたくさんあったから、アルバムにぴったりのものをなかなか決められなかったわ。クライヴとサイモンと私の3人でその作業をしていたの。このアルバムは楽曲そのものがすべて。最高のアルバムを作るために、わたしは自分の時間を最大限に活用した。ここには決め手となるサウンドがあり、誰もがバスルームの鏡の前で声を張り上げて歌えると思う」 ハードな制作期間中、ポップスターとしての堂々とした自信も身に付けた。スタイリッシュで魅力的なレオナをカリフォルニアのビーチで撮影した新たな写真には、自信に満ちた彼女のその姿がよく表れていて、音楽に対する大きな自信は彼女の別の部分にも広がりつつある。 80年代のプリンスがポップ・ミュージックの形を変貌させたことに思いをはせ、そしてそこにマライア・キャリーの歌声を足せば、世界が待ち望んでいたシングル「Bleeding Love」のことが多少なりともわかるかもしれない。 「One RepublicのRyan Tedderが書いた曲よ」己の音楽のルーツをたどることに意欲的なレオナは言う。「彼らはロック・バンドだけどプリンスぽい感じがある。RyanはTimberlandと仕事をしたことがあるし、すごくたくさんの方向性を持った人だわ。内容はラヴソング。でもボーイ・フレンドだけじゃなく友人たちに対する歌でもある。大事な人に向かって、いつでもそこにいるわ、と伝えているの」 「このアルバムは誠実で純粋な気持ちから生まれたのよ。 “レオナはどこへ消えちゃったの?”って思ってる人もいたことはわかってるけど、でもわたしが求めていたのは、わたしを支えてくれて一緒にアルバム制作をしてくれる人たちだった。プロデューサー本人が誇りを持てて、しかも世の中の人たちが共感できるようなアルバムを一緒に作ってくれる人たちよ。わたしが一生懸命やっているのは、今後ずっとみんなを喜ばせるアーティストになるためなの。みんな驚くと思う。だってわたし自身がびっくりしてるんだから」 こうしてリリースへ向けての準備を整えていったレオナは、2007年10月22日にシングル「Bleeding Love」、11月12日にデビュー・アルバム『Spirit』のUK国内リリースを迎えた。 今もっともホットなプロデューサーの1人、Ryan Tedder(Jennifer Lopez, Mary J Blige他)がプロデュースしLAでレコーディングした「Bleeding Love」は、たった3週分のみで同年最高売り上げを記録し、これまでに100万枚を超えるロング・ヒット。 続いてリリースされたアルバム『Sprit』は、発売1週目に37万枚以上を売り上げ、アークティック・モンキーズがもっていた記録を破り、デビュー・アルバムとしてはUK国内最速セールス新記録、全アルバム総合でもオアシス、コールドプレイ、ダイドに次ぐ歴代4位に食い込む驚異的なスピードでヒットし、そのセールスは発売からたった10日で100万枚を突破。現在までに250万枚を超える空前の大ブレイクとなっている。 イギリス中が絶賛し、クライヴ・デイヴィス、サイモン・コーウェルを始めとする数々のスーパー・ヒット・プロデューサー達も惚れ込んだ才能。既に2008年1月にリリースされたヨーロッパ各国やアジア/オセアニア各国で大ヒットを記録し、ドイツ、スイス、オーストリア、オーストラリア、ニュージーランド初登場1位、ビルボード・ヨーロッパ・チャートでも1位を獲得。 日本と同じく4月にアルバム・リリースを迎えたアメリカにおいても、「ブリーディング・ラヴ」が4/5付全米シングル・チャート「Billboard Hot 100」において1位を獲得。UK出身女性アーティストのデビュー・シングルとしては21世紀になって初、1965年のペトゥラ・クラーク「ダウンタウン」、1981年のシーナ・イーストン「モーニング・トレイン(ナイン・トゥ・ファイヴ)」に次ぐ史上3人目/27年振りとなる快挙を達成し、そのセールスは260万枚を突破。また、アルバム『スピリット』も4/26付同アルバム・チャート「Billboard Hot 200」において1位を獲得。同チャートにおけるデビュー・アルバムでの初登場1位は、UKアーティストとして史上初、デジタル・セールスにおいても、新人アーティストの発売1週目セールス新記録を樹立。新人としては例を見ない快挙を遂げ、1位を獲得した国は12ヶ国にも及び、2008年10月現在、その全世界セールスは600万枚を突破。日本ではアルバムを発売直後の5月に初来日し、アルバムは20万枚を突破するヒットを記録。7月には2回目の来日を果たし、現代の英国の豊かなクリエイティビティーの象徴として、女性として初のUK-Japan 2008親善大使として任命式も行った。 その後も、8月には2008年最大の世界的祭典、北京オリンピック閉会式に次回開催地ロンドンを代表する1人としてデヴィッド・ベッカムやジミー・ペイジ等と共に出演。ロンドン名物の2階建バスの2階部分がステージに変形するかたちで登場し、ジミー・ペイジとレッド・ツェッペリンの「Whole Lotta Love」を競演。9月には、USで行われた一大チャリティ・イベント「Stand Up To Cancer」にもマライア・キャリー、リアーナ、ビヨンセなどの錚々たるスーパースターと共に出演。 世界各国の2008年年間チャートを制し、また、第51回グラミー賞にも3部門でノミネート。「2008年最大の新人」として名実共に真の全世界的な大ブレイクを果たした。 .
その独特の世界観や宗教観、自己への問いかけと他者へのまなざし、それを呟くような歌声で歌う(または語る)姿は、永年にわたり特定のアーティストや人々を虜にしてきた。カルト・ヒーローという言葉がぴったりはまるアーティストの中でも、かなり上位にランクされるであろうその人、レナード・コーエンは34年9月、カナダのモントリオールで生まれている。もともとはカントリー&ウェスタンを好んで聴き演奏していたが、大学在学中に初の詩集を出版し、音楽より先に詩人/小説家として名を知られることになった。 やがて人気フォーク・シンガー、ジュディ・コリンズに「スザンヌ」が取り上げられたことから注目され、67年アルバム『レナード・コーエンの唄』でデビュー。以降「バード・オン・ワイアー」「チェルシー・ホテル#2」「ハレルヤ」など、彼の名曲すべてを記すのは、枚挙にいとまがない。 オリジナル・アルバムとしては92年以来リリースがなく最近こそ寡作になっているが、ライヴやベストも含めると今までに13枚のアルバムを発表しており、フランス、イギリスといったヨーロッパ諸国ではチャートの上位にもランクインする、単なるカルト・ヒーローを越えた存在でもある。彼のトリビュート・アルバムも2枚発表されており、ロイド・コール、ニック・ケイヴ、R.E.M、ビリー・ジョエル、ドン・ヘンリーなど「なるほどやっぱり」なアーティストから「えっ?こんなメジャーな?」というアーティストまでが、コーエン・ファンを自認し、彼の曲をカヴァーしている。 .
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Portofino (Lavrushkin & Silver Ace Remix)