44MAGNUM | ja

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44MAGNUM(フォーティフォーマグナム、1977年 - 1989年)は、日本のヘヴィメタル・ロックバンドである。

ジャパニーズヘヴィメタル、ヴィジュアル系の先駆けと言えるバンドで影響を受けたバンドの数は多い(X-JAPAN、D`ERLANGER等)。特にD'ERLANGERのギタリスト瀧川一郎とドラマーの菊地哲と元リアクション~グランド・スラムの加藤純也は、44MAGNUMのローディーとして働いており、瀧川は広瀬に弟子入りし、菊地は宮脇に弟子入りしていた。

1977年 PAUL(梅原達也 / ボーカル)によって結成される。1979年、ギターのJimmyが加入。今のバンドの原型ができあがる。その後メンバーチェンジを繰り返しながら1983年にメジャーデビューした。

当時としては珍しく(1980年代は不良であろうがモヒカンのパンクスであろうが髪を金髪に染める行為は相当の覚悟がいる時代だった)、メンバー全員が髪を金髪に染め、ケバケバしい化粧をした派手目なルックスは後のヴィジュアル系バンドやパンクバンドにも多大な影響を与えることになる。

ただし、この「メンバー全員が金髪」はメジャーデビューにあたって、売出側の「ギョーカイの大人たち」によって「させられた」もの。当時、日本にモトリークルーが紹介されていた時期でも有り、売出側は「和製モトリークルー」画策した。

1987年にレコード会社移籍と共にヘヴィメタルはもう古いとソフトロック路線に変更するが、ファンから猛烈なバッシングを喰らい人気は急降下。1988年に打ち込みの導入に反対していたドラムの宮脇が脱退、1989年4月4日に解散してしまう。

同年4月21日には1986年にレコーディングした未発表アルバムSTILL ALIVEをデンジャー・クルーよりリリース。音楽雑誌やファンから絶賛をうける。

解散後、梅原は江川ほーじんらと共にライナセロスを結成。広瀬は橋本みゆきと共にTOPAZを結成し、解散後はビーイング系バンドのspAedや吉川晃司のツアーギタリストとして参加している。吉川は当時44MAGNUMのローディとして働いていた元リアクションの加藤純也らと共にグランドスラムを結成。宮脇は脱退後、DIAMOND☆YUKAIやhide with Spread Beaverのツアーメンバーとして参加。94年にはZIGGYに加入し、2000年には仮面ライダーシリーズのトリビュートバンドであるRIDER CHIPSに参加した。

2002年に復活し、アルバム「IGNITION」をリリースしたが、44MAGNUMとしてのライブは開催されないまま(PAUL&JIMMYによる22MAGNUM名義でのイベント参加は行われた。)、活動自体が徐々にフェイドアウトしてゆく。

2006年11月に大阪のライブハウス『バハマ』で行われたライブの中で、ボーカルの梅原達也は自分が若年性パーキンソン病患者である事を公表した。

2007年4月4日 公式HPにメンバー4人がコメントを載せ、再度の復活と本格的な活動を宣言。

10月13.14日に目黒鹿鳴館にてライブを開催予定していたが、事務所とのマネージメント契約が突如解除される等した為、寸前まで開催を不安視する意見が多かった。また宮脇のライブスケジュールに44MAGNUMのライブが含まれていない事にも疑念の声が上がっていた。 その不安は的中し、結局この公演は中止となってしまった。

しかし翌年3月1日、前年の鹿鳴館公演の振り替えを兼ねた「関西なぐりこみGIG 2008」(中野サンプラザ)にてMARINO、EARTHSHAKERと競演、久々にオリジナルメンバーがステージ上で顔を揃えた。

2009年9月、梅原(Vo)、広瀬(g)宮脇(Dr)の従来のメンバーに加え、SHUSE(B、元La'cryma Christi)、梅原の息子であるStevie(Vo)を迎え、新生44MAGNUMとしてアルバム「44MAGNUM」をリリース。

2010年8月21日開催のJACK IN THE BOXにベースとしてAnarchy Bad Rayが加入。  .

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