Bob Marley & The Wailers | ja

ボブ・マーリー(Bob Marley、1945年2月6日 - 1981年5月11日、本名ロバート・ネスタ・マーリー Robert Nesta Marley)は、ジャマイカのレゲエミュージシャン。その音楽はラスタファリアニズムの思想を背景としており、彼の音楽・思想は(音楽制作者のみならず)数多くの人々に多大な影響を与えている。
愛用のギターはボディとネックに1ピースマホガニー、指板はローズウッドを使用し、ピックアップにP-90を2基搭載したギブソン社のLes Paul Specialである。

1945年2月6日 ジャマイカ・セント・アン教区のナイン・マイルズで、イギリス系ジャマイカ人(白人)の父親(ノーヴァル・マーリー)とジャマイカ人(黒人)の母親(セデラ・ブッカー)との間に生まれる。当時、父親は40代、母親はティーンエイジャーであった。
1950年代 キングストンに移り、バニー・ウェイラーと共に音楽活動を開始する。
1963年 ピーター・トッシュらとザ・ウェイリング・ウェイラーズを結成しデビュー。当初は6人組だった。
1966年 リタ・アンダーソンと結婚。
1972年 英国アイランド・レコードと契約し、翌年『キャッチ・ア・ファイア』をリリース。
1974年 エリック・クラプトンがカヴァーした『アイ・ショット・ザ・シェリフ』が全米第1位となった。その後、バニー・ウェイラー、ピーター・トッシュがウェイラーズから脱退した。
1975年 ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズとして新たに活動を開始する。
1976年12月3日 PNP支持を表明したことから政治闘争に巻き込まれ、狙撃され重傷を負い、亡命を余儀なくされる。
1970年代後半のジャマイカは、マイケル・マンリーが率いるPNPと、エドワード・シアガが率いるJLPとの二大政党の対立が激化し、しばしば抗争が勃発していた。
1979年 ジャマイカに舞い戻り、“One Love Peace Concert”を開催する。このとき、コンサートを見に来ていたマイケル・マンリーとエドワード・シアガの2人の党首をステージ上に招き、和解の握手をさせた。
1979年には、かねてからの念願であったラスタファリズムの聖地、エチオピアを訪問。このときの体験をもとにアルバム『サヴァイヴァル』を発表している。日本公演を行ったのもこの年である。
1980年 アフリカ訪問、さらにアルバム『アップライジイング』発売。
1981年5月11日 脳腫瘍を患いアメリカ合衆国フロリダ州の病院で死去。36歳没。同月21日、キングストンにて国葬。
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