Rosemary Clooney with Orchestra | ja
H Jungle with t(エイチジャングルウィズティー)は、浜田雅功(ダウンタウン)と小室哲哉による音楽ユニット。
初期はTRFのDJ KOOと後にglobeのメンバーとなるマーク・パンサーや久保こーじが参加していた。 .
頭はオオカミ、身体は人間という外見の5人組のロックバンド。
バンド自体の結成時期は公表されておらず、メンバーの年齢や国籍も非公開となっている。
2010年11月3日、FROM YOUTH TO DEATH RECORDSより、ミニアルバム「WELCOME TO THE NEWWORLD」でインディーズデビュー。2011年4月6日には、シングル「NEVER FXXKIN' MIND THE RULES」をリリース。
2010年11月17日より全4公演で全米ツアーをした際に、告知ポスターを見たエアロスミスのスティーヴン・タイラーが「クール」と叫び、自身のステージでMAN WITH A MISSIONのアルバムタイトルを連呼したことでも話題になっている。
2011年6月8日に日本クラウンからアルバム「MAN WITH A MISSION」をリリースしメジャーデビュー。
2012年7月18日にアルバム「MASH UP THE WORLD」をリリース。同アルバムが、第5回CDショップ大賞で大賞を受賞。
2013年2月20日には2ndシングル「Emotions」をリリース。その週のテレビ朝日系「ミュージックステーション・Mステ」に出演し、奇抜な外見と確かな音楽性で一気に注目を集めた。
2013年8月19日、Sony Music Recordsへの移籍を発表。移籍後初のシングル「database feat. TAKUMA(10-FEET)」表題曲「database feat. TAKUMA(10-FEET)」はテレビアニメ『ログ・ホライズン』のOPとして起用。
2014年2月12日、コンピレーション・アルバム「Beef Chicken Pork」をリリースし全米デビュー。一部日本語詞で歌われていた曲も、本作への収録にあたって全編英語詞で録音しなおされている。
2015年5月20日、スプリットEP「Out of Control」(MAN WITH A MISSION×ZEBRAHEAD名義)をリリース。ZEBRAHEADとの共作である表題曲「Out of Control」は、『マッドマックス 怒りのデス・ロード (原題: Mad Max: Fury Road)』の日本版EDとして起用された。
今後も動向から目が離せないバンドである。 .
CHiCO(ちこ)は、日本の女性歌手。2013年夏、「アニソン」と「ボカロ」に特化した全国区オーディションソニー・ミュージックエンターテイメントSDグループが主催するオーディション『ウタカツ!』でグランプリに選ばれ、ニコニコ動画で活動中のボカロPユニットメンバー「HoneyWorks」が作詞作曲を提供し「CHiCO with HoneyWorks」としてデビュー。
2014年8月6日デビューシングル「世界は恋に落ちている」をリリース。 .
ウィズイン・テンプテーション (Within Temptation)は、オランダのシンフォニックメタル・ゴシックメタルバンド。
1996年に結成され、ヨーロッパを中心にシンフォニック・ゴシックメタルの中心的存在となっている。1996年当時、THE CIRCLE(後にVOYAGEに改名)のギター&ボーカルのロバート・ウェスターホルト (Robert Westerholt) とVOYAGEにゲスト参加経験のあるシャロン・デン・アデル (Sharon den Adel) が中心になって結成された。結成当時は5人組。途中加入のメンバーを除けば昔からの親友同士。
翌1997年初めて製作したデモテープと同タイトルの『エンター Enter』(1997年)で彼らの地元であるオランダのDSFAレコードからデビュー。欧州ツアーを行い人気と知名を上げ1997年・1998年とダイナモ・フェスに連続出場。
翌1998年にEP『THE DANCE』をリリース。1999年大学卒業のため活動をトーンダウンさせ卒業後、好きな音楽ができなくなることを恐れ就職する。
当時ファッションマネジメントを専攻していたシャロンはファッション会社のメンズ担当として商品管理をやっていた。ロバートはインターネット会社で経理や雇用を担当していた。しかしバンドの人気が出すぎてしまい、早々に退職。
翌2000年12月にセカンドアルバム『Mother Earth』(2000年)を発表。GUNレコードが制作し、オランダ国外での配給はロードランナー・レコードが担当した。母国オランダのアルバムチャートで3ヶ月以上ランクイン、オランダとドイツ、ベルギーでプラチナム・ディスクを獲得。
2004年11月にサードアルバム『ザ・サイレント・フォース The Silent Force』(2004年)をリリースする。シングルカットされたStand My Ground(2004年)のヒットとともに前作以上にブレイクし、アルバムはオランダでチャート1位を獲得。再びプラチナム・ディスクを獲得するとともに7か国でゴールドディスク認定されるなど欧州の権威ある音楽賞各賞を受賞し、これを機に英国、豪州、日本でもリリースされるようになる。結果、DUTCH MUSIC AWARD(オランダの音楽輸出に多大なる功績を残したことを讃える賞)を受賞する。
デビューアルバム『エンター Enter』(1997年)は日本盤が発売されたものの、ゴシック・メタルに対する市場のなかった日本ではその後の作品が発売されることはなかった。その後このジャンルにも光が当たるようになり、アルバム第3作目『ザ・サイレント・フォース The Silent Force』(2004年)より再び日本盤が発売された。
2011年の『The Unforgiving』では長年籍を置いたGUNからコロムビア・レコードに移籍、ブラッドレインやDARK 48などを手がけたスティーヴン・オコーネルが原作、ウィッチブレイドやX-メンなどを手がけるロマノ・モレナーが作画を担当した同タイトルのアメリカン・コミックスとタイアップし、連動する物語を描いたバンド初の「コンセプトアルバム」として発売された。
2014年の『Hydra』では同社の再編によりSony Music所属となり、各国での配給もロードランナーを離れてソニーグループの各社が担当した。同作では長年女性ヴォーカルゴシックメタルのライバルと評されてきた元ナイトウィッシュのターヤ・トゥルネンや元キルスウィッチ・エンゲイジのハワード・ジョーンズなど多彩なゲストを迎えた。また、前作制作直後に加入したステファン・ヘレブラットを含む初の3ギター編成でのアルバムである。
メンバー
シャロン・デン・アデル Sharon den Adel - ボーカル
ロバート・ウェスターホルト Robert Westerholt - ギター(※2011年以降は製作とスタジオ録音に専念)
マーティン・スピーレンブルグ Martijn Spierenburg - キーボード
イェローン・フォン・フェーン Jeroen van Veen - ベース
ルード・ヨリー Ruud Jolie - ギター
マイク・コーレン Mike Coolen - ドラムス
ステファン・ヘレブラット Stefan Helleblad - リズムギター
旧メンバー
イヴァル・デ・グラーフ - ドラムス (1996 - 1998、1999 - 2001)
マタイン・ウェスターホルト- キーボード (1996 - 2001)
ミカエル・パッペンホーブ - ギター (1996 - 2001)
ジェリー・ベーカー - ギター (2001)
シロ・パルマ...
イエロー・マジック・オーケストラ(Yellow Magic Orchestra)は、1978年に結成された日本の音楽グループ。略して「YMO」(ワイ・エム・オー)と称する。
YMOはテクノの歴史の中でも初期のグループであり(当時は具体的に「テクノ」というジャンルはなく、それは後に定着したものである)、また彼らの音楽にはロックの要素もあったことから、現代のようなテクノにカテゴライズできるとは簡単には言い切れない。しかしここでは、日本のテクノ最初期のグループとして紹介する。
細野晴臣(ベース)
エイプリル・フール、はっぴいえんど、ティン・パン・アレーを経て、YMOを結成。YMOのリーダー・プロデューサーであり、シンセサイザーとコンピュータを用いるYMOの音楽スタイルを打ち出した。宗教や民俗学など神秘主義的な趣味があり、それらもYMOに影響を与えている。ライブではほぼベーシストに徹し、特筆すべきはシンセサイザーをベース代わりに演奏していたことである(ただし、曲によってはエレクトリックベースを使用している部分もある)。YMO散開後は特にアンビエント、エレクトロニカ等のジャンルを取り入れている。
高橋幸宏(ドラム・ヴォーカル)
サディスティック・ミカ・バンド、サディスティックスを経てYMOに参加。YMOをきっかけに機械のビートと同期してドラムを演奏した最初期のドラマーである。また、ライヴではドラムを叩きながら自らヴォーカルをとるという異色なスタイルで演奏していた。ファッションデザインの技能を生かしてYMOではステージ衣装のデザインを手掛けた。YMO散開後はソロ活動とともに、様々なミュージシャンとのコラボレーションやプロデュース業を展開している。
坂本龍一(キーボード)
YMOで唯一、音大出身のミュージシャン。スタジオミュージシャンとして活動した後、YMOに参加。YMOでは松武秀樹とともにレコーディングにおいて楽曲を構築する重要な役割を果たし、またライヴでは楽曲のアレンジを一手に引き受けた。YMO散開後は映画音楽で成功するなどソロ活動を展開している。
担当パートについては主に演奏されるものであり、一部のレコーディングやライブ、TV番組では上記以外のパートを担当することもあった。
イエロー・マジック・オーケストラという名称は、細野が70年代後半あたりに提唱していたコンセプトである「イエローマジック」から来ている。これは白魔術(善や白人などの象徴。特に白人音楽)でも黒魔術(悪や黒人などの象徴。主に黒人音楽)のどちらでもない東洋人独自の音楽を作り上げるとして、魔術の色を人種の色にかけて提唱したのが黄色魔術(イエローマジック)である。細野がYMO以外で「イエローマジック」の名前を使用しているものとしてはティン・パン・アレーの曲「イエローマジックカーニヴァル」、細野のアルバム『はらいそ』の作成者名義「ハリー細野とイエローマジックバンド」が挙げられる。また坂本のアルバム『千のナイフ』のライナーノーツの細野の寄稿文でも、イエローマジックについての記述がある。
1980年代初頭に巻き起こったテクノ/ニューウェーブのムーブメントの中心にいたグループの一つであり、シンセサイザーとコンピュータを駆使した斬新な音楽で、1978年に結成されてから1983年に「散開」(解散)するまでの5年間で日本を席巻した。活動期間中には海外でのレコードリリース、及びコンサートツアーも行っており、世界に受け入れられた数少ない日本の音楽グループであると一般的に認知されている。1993年に一時的に「再生」(再結成)しており、また2007年にも再び再結成している。
当時、シンセサイザーやコンピュータを駆使した音楽としては既にドイツのクラフトワークが有名であったが、それらの技術を用いた音楽はまだ珍しい時代であった。そんな中で現れたYMOの音楽は、日本において当時の若い世代を中心に熱狂的に受け入れられた。また英米においても少なからぬ音楽的影響力を残しており、例えば「U・T」(アルバム『BGM』収録)はトランス・テクノ、「ライオット・イン・ラゴス」(厳密には坂本のソロ『B-2ユニット』の曲だが、'80年のYMOのライブで好んで演奏された)はヒップホップのそれぞれ始祖であると、後に英米で評されている。
YMOはそのファッションも特徴的であった。特に、初期のアルバムジャケットやライブでメンバーが着用していた「赤い人民服」(高橋のデザインによる、大正時代のスキー服をイメージした衣装であったが、その容貌が中国の人民服と似ていたために、一般的に「赤い人民服」と呼ばれるようになった。メンバーが人民帽を着用していたのも一因かと思われる)、そして、すっきりとした短髪、かつもみあげの部分を剃り落とす、当時の若者の間でも流行した「テクノカット」と呼ばれる髪型(特に、初期では刈りあげ+もみあげ無し)の2つは、YMOのビジュアルイメージとして一般に広く認知されており、彼らのトレードマークであったと言えるだろう。
1990年代以降に活躍する日本のミュージシャンの中に、YMOの音楽に影響を受けたと自称するミュージシャンが数多く現れた。彼らは「YMOチルドレン」と呼ばれることがある。その代表的アーティストは槇原敬之、宮沢和史(THE BOOM)、高野寛、テイ・トウワ、電気グルーヴなど。 .
Half As Much
In The Cool, Cool, Cool Of The Evening
Mixed Emotions
Bargain Day
Half As Much
Half As Much
You'll Never Know
It Might as Well Be Spring
Blues In The Night
When You Wish Upon A Star
It Might as Well Be Spring
Grievin'