Phil Good | ja

フィル・コリンズ(Phil Collins、本名:Philip David Charles Collins 、1951年1月30日 - )は、イギリスのロック/ポップミュージシャン。 バンド活動と並行してソロでも活躍し、1980年代から1990年代にかけて数々の大ヒットを記録した。 1970年にプログレッシブ・ロック・バンド、ジェネシス(Genesis)にドラマーとして参加。リーダー的存在だったピーター・ガブリエル脱退後はヴォーカリストも務めた。その後、バンドはポップス路線を進み、「ターン・イット・オン・アゲイン(君のTVショウ)」、「アバカブ」、「インヴィジブル・タッチ」などの数々のヒット曲を生み出した。1996年にジェネシスを脱退する(その後のジェネシスには新ヴォーカリストとしてレイ・ウイルソンが加入)。 ソロとしても多大な成功を残している。1984年には映画『カリブの熱い夜』の主題歌「見つめて欲しい」(ちなみに原題はどちらもAgainst All Odds)をリリース。アース・ウィンド&ファイアーのリードボーカル、フィリップ・ベイリーとのデュエットで知られる「Easy Lover」(1985年)や、ダイアナ・ロス&シュープリームスの「You Can't Hurry Love」(邦題「恋はあせらず」)のカヴァーなどをリリースしている。1980年代はソロ/バンドが共に全世界で大ヒットを連発。一方でロバート・プラントのアルバムをプロデュースし、彼のツアーでもドラマーを勤めた。1985年のライヴ・エイドでは、ロンドンで演奏後にコンコルドで大西洋を渡り、アメリカのステージでも演奏。イギリスとアメリカのステージでレッド・ツェッペリンをはじめスティング、エリック・クラプトンと競演するなど、「世界で一番忙しい男」と評された。 また、こうしたメジャーシーンでの活動と並行してジャズ・ロック・バンドのブランドXにも参加し、当時の米国シーンにおけるクロスオーバー・ドラマーたちにも全くひけをとらない、卓越したドラミング・テクニックを披露している(現在は脱退)。ブランドX名義で作品を発表する以外に、ベーシストのパーシー・ジョーンズと共にブライアン・イーノなどのアルバムに参加したこともある。 一方で5歳の時から演劇界でも活躍しており、テレビドラマ『特捜刑事マイアミヴァイス』や映画『アルマーニ』(ジョルジオ・アルマーニについての映画。共演としてダナ・キャランなどのファッション界の大物は勿論のこと、アーノルド・シュワルツネッガーやマーティン・スコセッシ、更にリッキー・マーティンなどがいた)にも出演。また、観客役のエキストラで『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』にも出演している。 近年はスイスに移住。ディズニー映画『ターザン』(1999年)の音楽を担当。主題歌「You'll Be in My Heart」はヒットを記録、アカデミー歌曲賞を受賞し、作品は後に舞台化もされブロードウェイなどで上演される。2002年にはエリザベス女王在位50年を記念するコンサート「Party in The Park - Golden Jubilee」に出演。ここで共演したクイーンやポール・マッカートニー、エリック・クラプトンらと「Queen's House Band」なるバンドを即席で結成。イギリスのファンを前に久々のドラム・パフォーマンスを見せた。 2002年、左耳に閉塞感を覚え突発性難聴と診断される。 2006年、米国Rockstar Games社のゲームソフト「グランド・セフト・オート・バイスシティ・ストーリーズ」に自身が声優を務める実在のキャラクターとして出演。 2007年、ジェネシスを再結成し、ヨーロッパ、アメリカをツアー。一部の曲でキーを落として歌うなどしたが、コンサートの定番だったチェスター・トンプソンとのドラムデュエット等で、卓越したドラムテクニックが健在であることをアピールした。 2008年、表舞台の活動を停止し、音楽プロデューサーとして活躍中。 アルバム * 1981 Face Value (夜の囁き)  (全英1位・全米7位) * 1982 Hello, I Must Be Going (フィル・コリンズ 2)  (全英2位・全米8位) * 1985 No Jacket Required (フィル・コリンズIII)  (全英・全米1位) * 1989 ...But Seriously (バット・シリアスリー)  (全英・全米1位) * 1990 Serious Hits … Live!  (全英2位・全米11位) * 1993 Both Sides  (全英1位・全米13位) * 1996 Dance Into The Light  (全英4位・全米23位) * 1998 Hits  (全英1位・全米18位) * 2002 Testify  (全英15位・全米30位) * 2004 Love Songs  (全英9位・全米51位) .
1. Italian producer Marco Rizzi stands behind the project Feel Good. 2. Punk band from Hobart, Tasmania. .
デルタ・グッドレム(Delta Lea Goodrem, 1984年11月9日 - )はいくつものARIA Awardを受賞したオーストラリア出身の歌手、ピアニスト、そして女優である。作詞等も手がけている。音楽性は、ピアノ主体でクラシック音楽やポップ、ロック、アダルト・コンテンポラリーの要素を取り入れたもの。 彼女が15歳の時にSONYと契約を結んでおり、デビュー曲の「I Don't Care」を2001年リリースするも、売り上げはぱっとしなかった。2002年にはオーストラリアの人気ドラマ「Neighbours」に出演し、劇中で歌手を目指す少女を演じ、「Born To Try」を披露し、2002年11月にシングル発売し見事1位を獲得する。その後、5曲連続でシングル1位を獲得する(オーストラリアでは史上初の快挙)。 スターダムに躍り出たデルタを襲った突然の悲劇が悪性リンパ腫のホジキンリンパ腫(Hodgkin's Lymphoma)であった。このニュースはオーストラリアで大々的に取り上げられ、連日新聞やTVなどで報道された。放射線治療により髪が抜け落ちたものの、家族やファンのサポートを受け快復する。 史上初の7部門9つの賞のARIA Awardを獲得し(この際、医師の許可を得て出席した)、イギリスのシングル売り上げトップ10に複数の曲がランクインする。2003年に発売したデルタ・グッドレム初アルバム「Innocent Eyes」はオーストラリア人の女性アーティストの中でも最高の記録を誇る29週間もの間、売り上げ一位という記録を叩き出した。オーストラリアでは100万枚、オーストラリア以外で250万枚の売り上げを記録した。 病状が少し落ち着いてくると、セラピー代わりにレコーディングしていたという。2004年10月に「Out of the Blue」で、見事1位を獲得し、翌月11月には2枚目のアルバム「Mistaken Identity」をリリースし、こちらの方も見事全豪1位を獲得した。 2005年の7月には「Visualise Tour」を敢行するが、当時のメディアの間では否定的であった。というのも彼女の体力が持たないとの意見からであったが、そんな不安をよそにツアーを見事成功させた。 9月にはAFLグランドファイナルにて国歌を独唱した。 ディスコグラフィ オーストラリア アルバム Innocent Eyes (2003年) Mistaken Identity (2004年) Delta (2007年) シングル Born To Try (2002年) Lost Without You (2003年) Innocnet Eyes (2003年) Not Me, Not I (2003年) Predictable (2003年) Out Of The Blue (2004年) Mistaken Identity (2005年) Almost Here (2005年) A Little Too Late (2005年) Together We Are One (2006年) In This Life (2007年) Believe Again (2007年) You Will Only Break My Heart (2008年) I Can't Break It To My Heart (2008年) DVD Delta...